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永遠の別れ

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永遠の別れ
悲しみを癒す智恵の書
定価1,925円(税込・送料別) 造本形式46判
ページ数392発売日2007/01/25
ISBN9784531081592日本教文社刊
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商品の説明

『死ぬ瞬間』の著者キューブラー・ロスの最後の著作。“死とその過程”に関する著作、ここに完結。

世界的な死生学の権威が最後に残したメッセージ。
「遺された人にも癒しが必要なのです」。
大切な人を失った時、あなたの深い悲しみをいかに癒せばよいかを具体的に書いています。
「両親が老い、友人たちも病に倒れることがはじまりだした中年期のただ中で、この本をひらくのがはじめはこわくて、暗く、避けたいような気持ちでした。子供や若いものやごはんをつくることなどに逃げたいような。
しかしひとたび入ってしまうと、この本の中には不思議な安らぎがありました。深い深い穴の底についた安堵でした。」(よしもとばななさん「本書に寄せて」)

商品の目次

読者へのおぼえがき
まえがき/「わたしは終わったの」
序文/予期された悲嘆
第1章 悲嘆の五段階
 否認・怒り・取引・抑うつ・受容
 否認
 怒り
 取引
 抑うつ
 受容

第2章 悲しみの内側
 あなたが喪失を体験するとき
 安堵
 感情の休息
 悔恨 
 涙
 天使
 夢
 面影
 役割
 物語
 過失
 怒りと恨み
 もうひとつの喪失
 人生観
 孤独
 秘密
 懲罰意識
 コントロール
 空想
 つよさ
 死後の生

第3章 悲しみの外側
 記念日
 セックス
 健康管理
 多忙
 遺品
 祝日
 手紙
 財産
 年齢
 終結
 
第4章 特殊な喪失体験
 子ども
 多重喪失体験
 災害
 自殺
 アルツハイマー病
 急死
 
第5章 変わりゆく悲しみの顔

第6章 エリザベス・キューブラー・ロス/わたし自身の悲嘆

第7章 デーヴィッド・ケスラー/わたし自身の悲嘆

 結びのことば/悲嘆という贈り物
 謝辞
 こころを前に進めるために……訳者あとがき

著者プロフィール
キューブラー・ロス,E.(エリザベス) 1926年スイス生まれの精神科医。18もの博士号を持ち、末期患者を精神的に支える仕事の世界の第一人者。 1969年『死ぬ瞬間』の刊行と「死にゆく過程の五段階」説の発表によって一躍世に知られ、あらゆる喪失体験からの癒しを助けるワークショップを精力的に開催。癒しの仕事の本拠地「シャンティ・ニラヤ」の運営が軌道に乗ると同時に、いよいよ彼女の本来の仕事、自らの体験と二万件以上もの臨死体験例から知った「死後の真実」を人々に知らせるという仕事と取り組む。その著作が『死後の真実』である。死ぬまで一貫して、無条件の愛に生きていた人。共著に、最後の著作になった『永遠の別れ』、死後の世界をこどもに語った絵本『天使のおともだち』(いずれも日本教文社刊)など多数がある。
ケスラー,D.(デーヴィッド) ホスピス・ケアの専門家。マザー・テレサから賞賛を受けた“The Needs of the Dying”(『死にゆく人に必要なこと』)の著者。エリザベス・キューブラー・ロスの『ライフ・レッスン』では共著者として関わっている。悲嘆と喪失の分野における指導者的存在として世界的に認められており、俳優のアンソニー・パーキンスやマイケル・ランドンが自らの死に直面したとき、共に取り組んだ。エリザベス・テイラー、ジェミー・リー・カーティス、そしてマリアン・ウィリアムスンらも、それぞれの愛する人の死に際して、彼に協力を求めた。ホームページ= http://www.davidkessler.org/
上野圭一 1941年生まれ。早稲田大学英文科卒。東京医療専門学校卒。翻訳家・鍼灸師。総合健康研究所主宰。日本ホリスティック医学協会理事。著書に『ナチュラル・ハイ』(海竜社)、訳書に『永遠の別れ』『人はなぜ治るのか〔増補改訂版〕』『心が生かし 心が殺す』『バイブレーショナル・メディスン』『がん──ある<完全治癒>の記録』『がん療法百科 上下』『太陽と月の結婚』『ドクター・オイルの現代アメリカ健康学』(以上、日本教文社)、『ワイル博士のナチュラル・メディスン』『クォンタム・ヒーリング』『癒しのメッセージ』『ヘッド・ファースト』(春秋社)など多数。
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本書の感想
2021/06/24
by
本山(無職)
キューブラー・ロスさんが生前に出した最後の本が、まさか残された人々のレッスン書になるとは予想外だった。脳卒中で豹変したとされる彼女だが、その生き方は最後まで人を救おうとする聖女だったのではと感じた。
2019/12/16
by
W.S.(主婦)
30年前、E.キューブラーロスの作品4冊を読みました。その後再読しようと思い探しましたが絶版となっていました。今、読める幸せを感じています。
長女に先立たれて
2019/10/28
by
小野(無職)
母親の私の最後を託していた長女に先立たれ、一年以上過ぎても信ずることが出来ず、彼女の最後の姿を思い浮かべても、理解するものの受け入れることがつらくて悲しみで嘆きの日々でした。心療内科にも通院しても何か空虚で、彼女の姿を追い求めてあちこち写真と花を飾り、話しかけては自分で返事している毎日です。訳本で読みにくいかなと思いましたが救われるページもたくさんありました。ありがとうございます。
かつて勉強して再度
2019/10/16
by
亀田(福祉関係)
グリーフワークの重要性を再認識した。
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2018/10/24
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佐々木
昨年妻を亡くして落ち込んでいた所、新聞広告を見てすぐに購入した。
悼みとは何かを改めて考える、感じる
2016/04/14
by
こねこ
悲嘆の只中にあるとき、慰めは要らない。誰も自分のことをわかってはくれない。その人との関係は自分とその人だけの関係なのだから。と誰しも思う。この本の中にはそんなさまざまな喪失と悲嘆のドラマや物語がたくさん詰まっていて、涙なくしては読めない。
時間が止まり、永遠にこの苦しみが続くかのように思える。そんな中に真っすぐ入っていく。その体験こそが真の慰めと癒しの世界へと私たちを運んでくれる。それは、悼みの向こう側の世界であり、繋がっている世界なんだと思う。
今この本が手元にあるのは救いである
2016/04/14
by
spece I "Minmin"
この本を読んで先ず思ったのは、あぁ、もっと若い頃にこういう本を読んでおきたかったということだった。30代の頃、両親を亡くした。父が亡くなったときは、自分の悲しみをこらえるのが精一杯で残された母の悲しみをサポートするなど思いも寄らなかった。混乱して、依存度を増す母に苛立ちを覚えたものだった。しばらくたって母が泊まりに来て子どもたちと眠った翌日、父が枕元に現れたと言い、小学校の低学年だった娘が自分も確かにおじいちゃんを見たと言ったときに、それは母の幻覚であり、幼い娘がそれに引きずられたのだと相手にしなかった。あり得べきことなのに。母が亡くなったときはあまりの煩雑さに一人歯を食いしばっていた。もっと悲しんでもよかったのだ。悲嘆を悲嘆として味わい尽くせばよかったのだと、この本を読んでいて思った。そしてそれを母や子どもたちと共有できていたら、どんなに違った展開になっていただろう。今、私の近くに90才を過ぎて骨折、認知が進んだ実母がいる。幾たびも癌の再発を繰り返し緩和ケアの話を聞くことになった友人がいる。先のことを思えば時に涙も出てくるが、踏みとどまって向き合い、どんな感情も味わい尽くそうと思っている。今この本が手元にあるのが救いである。それにしても、デーヴィッド・ケスラーと同じように私もキューブラー・ロスの不在が寂しい。
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